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名古屋高等裁判所 昭和48年(ネ)24号 判決 1977年5月30日

控訴人

三浦正人

右訴訟代理人

江口三五

外四名

被控訴人

杉山千春

杉山優

右両名訴訟代理人

水谷博昭

主文

本件控訴を棄却する。

差戻前および差戻後の控訴審ならびに上告審の訴訟費用は全部控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一三番宅地172.57坪がもと棚橋ひさの所有であつたところ、昭和二八年六月六日右土地から三番の二宅地60.01坪が分筆され、同日三番の二の土地につき棚橋ひさから三浦隼人が四八〇七分の一八九八の共有持分権の、跡路通勇が四八〇七分の二九〇九の共有持分権の移転登記を受けたこと、昭和三一年八月二四日にいたり岐阜復興土地区画整理事業施行者岐阜市長において右三番の二の土地を一番宅地四八坪に換地処分したこと、三浦隼人が昭和三六年六月八日死亡し、その相続人である控訴人において右共有持分権を承継取得したこと、本件係争地が右一番宅地の一部であり、杉山末吉が右土地上に本件建物部分を所有して本件係争地を占有していたところ、同人は昭和五一年四月一四日死亡し、その相続人である被控訴人らにおいて右建物の所有権を承継取得して本件係争地を占有していること、以上の事実は当事者間に争いがない。

二<証拠>を総合すると、次の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

三浦隼人、跡路通勇、松尾治吉、高木平助、杉山末吉らは、棚橋ひさ所有にかかる三番宅地の一部をそれぞれ賃借して、その地上に建物を所有していたのであるが、昭和二二年一二月一日にいたり岐阜市長から右賃借人らに対し三番宅地につき従前の地積172.57坪を136.48坪に削減して仮換地の指定がなされた(仮換地上における借地権の区分の指定はない。)。三浦隼人、跡路通勇、松尾治吉、高木平助の四名は、昭和二三年三月八日共同して三番の土地の一部(実際は右仮換地136.48坪のうち80.50坪)を代金一二万〇七五〇円で買い受け、右代金は同月から昭和二八年二月までの間に分割して支払い、右完済と同時に分筆登記手続をすることとした、しかして、右四名の買受けは共同でなされたけれども、もとより右仮換地上にそれぞれ専用区域をもうけ、そのうえに自己の建物を所有することを目的としたものであつて、三浦隼人が買受後自己の専用区域とした土地の範囲は別紙図面表示(A)、(B)、(C)、(D)、(ニ)、(ロ)、(E)、(A)の各点を順次直線で結んだ地域(一九坪)であつた。昭和二八年六月にいたり、三浦隼人は棚橋ひさから買い受けた土地につき、所有権移転登記を受けることになつたが、当時右土地が土地区画整理事業施行区域内にあつた関係で土地を分筆して三〇坪以下の面積とすることができなかつたので、跡路通勇が買い受けて自己の専用地域としていた同図面表示(A)、(E)、(F)、(G)、(H)、(I)、(A)の各点を順次直線で結んだ地域(二九坪)とあわせて分筆したうえ移転登記をすることとし、同月二六日右三番宅地から三番の二宅地60.01坪(仮換地地積は四八坪)を分筆し、右三番の二の宅地につき三浦隼人は四八〇七分の一八九八の、跡路通勇は四八〇七分の二九〇九の共有持分権の移転登記を受けた。その後三番の二の土地は一番宅地に換地され、前記仮換地の地域(別紙図面表示(A)、(B)、(C)、(D)、(ニ)、(ロ)、(E)、(F)、(G)、(H)、(I)、(A)の各点を順次直線で結んだ範囲)が一番宅地の範囲になつた。

右認定事実によれば、一番宅地四八坪について、登記簿上三浦隼人と跡路通勇との間に共有関係が存続しているが、内部関係においては共有物の分割が完了しており、各自の専用地域について単独所有権を有しているものと解すべきである(ただし、右のように共有権の登記しか経由されていないのであるから、取引上正当の利害関係に立つ三者に対してはその単独所有権をもつて対抗し得ないこと勿論である。)。

三ところで、控訴人の本訴請求は、一番宅地四八坪のうち別紙図面表示(A)、(B)、(C)、(D)、(ニ)、(ロ)、(E)、(A)の各点を順次直線で結んだ地域に対する控訴人の所有権に基づき本件係争地の不法占拠者たる被控訴人らに対し建物収去土地明渡しを求めるというにある。

これに対し、被控訴人らは、まず、かかる請求は共有者全員が当事者となつて提起すべき固有必要的共同訴訟であると主張する。しかしながら、共有者の一人が共有物の不法占有者に対しその引渡を求めることは保存行為であつて単独でその訴えを提起し得るものであり、これを共有者全員が当事者となることを要する必要的共同訴訟と解すべきではない。のみならず、前記のように、控訴人は、登記こそ経由していないが本件係争地の単独所有者であり、その主張するところによれば、被控訴人らは不法占有者であるというのであつて、不法占有者に対し所有権に基づく主張をなすには必ずしもその権利につき登記を経由していることは必要でないから、被控訴人らの主張は失当である。

四次に、被控訴人らは、被控訴人杉山千春が一番宅地四八坪の共有者となり、その共有権に基づく使用収益として、杉山末吉に本件係争地を貸与し、地上に建物を所有させているものであり、したがつて、同人の相続人である被控訴人らが本件係争地を所有することは何ら不法占拠に当らないと主張する。

そして、<証拠>によると、被控訴人杉山千春が昭和三五年七月二〇日跡路通勇から一番宅地について同人の共有持分権のうち四八〇七分の一二一一の持分を譲り受け、同月二六日その旨の登記を了したことが認められる。しかしながら、<証拠>によると、被控訴人杉山千春は跡路通勇から一番宅地四八坪の一部で同人の単独所有に属する(ただしその旨の登記はない。)別紙図面表示(A)、(E)、(F)、(G)、(H)、(I)、(A)の各点を順次直線で結んだ地域二九坪のうち南端部分11.23坪を買い受けたのであるが、その登記としては前記共有名義の登記を経由したものであることが認められ、<る>。<証拠>を総合すると、被控訴人杉山千春は、跡路通勇から買い受けた右11.23坪を現に単独所有者として使用占有し、その地上に自己名義の建物を所有しているにすぎず その支配は一番宅地の他の部分に及んでいないことが認められる。してみると、被控訴人らの右主張は採用できない。

五さらに、被控訴人らは、本件係争地につき杉山末吉が借地権を有していたところ、同人が死亡し被控訴人らにおいてこれを承継取得した旨主張する。

<証拠>を総合すれば、杉山末吉は、大正一三年ころ、石川喜作が棚橋ひさから賃借していた三番宅地172.57坪の一部87.47坪を右石川喜作から転借し、その地上に建物を所有してきたこと、本件係争地は当時から右建物の敷地の一部であつたこと、杉山末吉は、昭和二二年一月一八日、右借地権を土地区画整理事業施行者である岐阜市長に届出たところ、同年一二月一日にいたり同市長から三番宅地172.57坪を136.48坪に削減して仮換地の指定がなされたが、借地範囲の指定がなされておらず、一筆の土地につき二名以上の借地人がいる場合土地所有者と協議のうえ仮換地内において区分取決められたい旨指示されたこと、そこで、杉山末吉は、右仮換地指定を受けた後、右三番宅地の一部を石川喜作から転借していた三浦隼人、跡路通勇らとともに、地主棚橋ひさ、転貸人石川喜作らと仮換地上の借地範囲について種々折衝を重ねたが協議が成立するまでにいたらず、そのうちに石川喜作は棚橋との賃貸借契約および杉山末吉との転貸借契約を解除することなく借地人間の借地範囲につき地主と借地人ら間で適当に協議して欲しい旨申し出て右協議に加わらないようになつたこと、石川喜作の態度に業をにやした杉山末吉は、地主棚橋ひさと直接賃貸借契約を結ぶべく、同人に対しその旨申入れたが明確な承諾を得られなかつたので、借地権の消滅することをおそれ、昭和二三年四月分から昭和二八年五月分まで賃料につきその都度相当額を岐阜地方法務局へ供託したところ、右棚橋は右供託金を一括受領したこと、右のように仮換地上の借地範囲につき借地人間において協議が整わなかつたため、岐阜市長は昭和二七年二月一二日付をもつて杉山末吉の借地権につき面積を七一坪に削減して仮換地上に同人の借地範囲を指定したこと、本件係争地は杉山末吉の借地権を行使し得る右借地範囲に含まれていること、次いで、昭和二八年六月六日、三番宅地は 三番、三番の二、三番の三の三筆に分筆され、そのうち三番の二宅地60.01坪は三浦隼人、跡路通勇の所有に帰し、本件係争地は右三番の二宅地の一部であつたこと、三番宅地の残地74.55坪は昭和二八年六月六日岩見せきに六〇一〇分の九七七の持分権の、所喜市に六〇一〇分の一一一八の持分権の移転登記(原因昭和二三年三月八日付売買)がなされ、昭和三一年三月一四日被控訴人杉山千春に残地の持分権が移転登記(原因同日付売買)されたが、右分筆の結果杉山末吉の借地権は三番の仮換地上に52.15坪、三番の二の仮換地上に4.97坪および13.88坪(以上合計七一坪)が存在することとなり、その後これが換地処分により一番宅地の上に4.97坪と13.88坪、一番の二宅地(換地後の地積六〇坪)の上に52.15坪の移行が認められたこと、杉山末吉の借地権が認められた一番宅地の一部4.97坪が本件係争地であり(なお、13.88坪は被控訴人杉山千春が跡路通勇から買い受けた地域に当る。)、杉山末吉は本件係争地と一番の二宅地の一部52.15坪の上に別紙物件目録(二)記載の建物を所有し、これにつき昭和二六年七月九日所有権保存登記を経由していること、したがつて、控訴人およびその先代三浦隼人は本件係争地が棚橋ひさから跡路通勇とともに買い受けた土地の一部として共有持分権の登記が経由されているけれども、いまだかつてこれを使用占有したことがないことが認められ、右認定に反する証拠はない。

右認定事実によると、杉山末吉は棚橋ひさ所有のときから本件係争地に建物所有を目的とする転借権ないし借地権を有していたものであり、これにつき控訴人先代三浦隼人が共有権を登記する前である昭和二六年七月九日すでに地上建物につき保存登記を経由しているのであるから、右借地権をもつて本件係争地の共有権者たる控訴人に対抗し得るものといわなければならない(なお、杉山末吉が右のような借地権を有する以上、同人は控訴人との関係において取引上正当の利害関係に立つ第三者に当るから、控訴人としては内部関係において本件係争地を含む別紙図面表示(A)、(B)、(C)、(D)、(ニ)、(ロ)、(E)、(A)の各点を順次直線で結んだ地域につき単独所有権をもつて対抗することができず、登記簿上の記載に従い共有者の一人であることを主張し得るにとどまる。)。

これに対し、控訴人は、被控訴人らが上告審にいたりはじめて借地権の範囲を明らかにしたもので、時機に遅れたものであるから民訴法一三九条により却下されるべきであると主張するが、被控訴人らはすでに原審においてその借地権の範囲が本件係争地に及ぶものであることを主張しているのであるから、被控訴人らの主張は何ら時機に遅れるものではなく、控訴人の非難は理由がない。

六控訴人は、杉山末吉が本件係争地に有する借地権は賃料不払いを理由とする解除により消滅したと主張する。そして、控訴人および跡路通勇が昭和四一年一一月七日原審第二二回口頭弁論期日において杉山末吉に対し賃料不払いを理由として契約解除の意思表示をしたこと、右解除がなされた時点において杉山末吉が賃料を支払つていないことは当事者間に争いがない。

控訴人の右主張に対し、被控訴人らは、まず右解除の意思表示は共有者の全員からなされておらず、共有者の一人である被控訴人杉山千春が加わつていないから無効であると主張するが、共有物にかかる賃貸借契約の解除は民法二五二条本文にいう「共有物の管理に関する事項」に該当するので、同法五四四条一項の適用はないものと解すべきところ、右解除の意思表示は一番宅地につき四〇八七分の一八九八の持分権を有する控訴人と四八〇七分の一六九八の持分権を有する跡路通勇の両名からなされており、特段の事情が認められない本件においては、共有物の価格の過半数を有する者の意思決定によつてなされているのであるから、被控訴人らの右主張は理由がない。

七次に、被控訴人らは控訴人のした解除は催告の手続をふんでいないから無効であると主張し、控訴人は杉山末吉の賃借人としての背信性が強度であるから催告を要しないで解除し得る旨主張する。

<証拠>によれば、杉山末吉は、昭和二三年ころ地主たる棚橋ひさから三番宅地のうち従来自己の使用していた部分全部を買い受ける交渉をなし手付金一万円を支払つたが、棚橋ひさが履行しなかつたため、結局その目的を達せず、同人は三浦隼人、跡路通勇、松尾治吉、高木平助らに対しても土地を分割売却する態度に出たため、杉山末吉と棚橋ひさとの間に紛争が生じ、杉山末吉は控訴人らが右土地の分筆、移転登記を受ける直前の昭和二八年五月には地主棚橋ひさを相手方として三番宅地に譲渡禁止の仮処分をしたこと、控訴人と跡路通勇が三番の二の土地を分筆しこれを取得した後、杉山末吉は右両名間の土地使用区分について話合いをしたが協議が成立せず、控訴人は本件係争地について杉山末吉の使用権原を認めず、もとより賃料額、支払時期、方法の協議も成立しなかつたこと、杉山末吉は昭和二八年五月までは前地主である棚橋ひさに賃料を支払つていたが、右のような経過で控訴人、跡路通勇との話合いが成立しなかつたため、その後賃料を支払わないでいたところ、控訴人および跡路通勇が本訴において解除の意思表示をしたことが認められる。右のような事実関係のもとにおいては、たとえ長年月にわたり賃料を支払わなかつたとしても、催告の手続をふまずしてなした賃貸借契約の解除は、その効力を生じないものといわなければならない。よつて、被控訴人らの右主張は理由がある。

そして、杉山末吉は昭和五一年四月一四日死亡し、被控訴人らがこれを相続したことは当事者間に争いがないので、被控訴人らは本件係争地に関する右借地権をも承継取得したものというべきである。

八以上の次第で、控訴人の本訴請求は失当として棄却を免れず、これと理由こそ異なるが結論を同じくする原判決は結局相当であつて、本件控訴は理由がないからこれを棄却することとし、民訴法三八四条、九六条、九五条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(三和田大士 鹿山春男 新田誠志)

物件目録、別紙図面<省略>

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